思想

決めた未来しか実現しない

「私はよく神社にお参りに行くのですが、なかなか祈りが聞き届けられません。どうしたら良いでしょうか」と言う人へのアドバイスです。

神社へ行くのは良いことです。ともすれば俗事に埋没しがちな我々にとって、参詣するという行為は大切なものを取り戻す行為であり、信仰心の表れであるとも言えます。

ただ、「神社に行くけど結果が出ない」と言う人の心の奥底を覗くと、「結果を出してくれるなら信用するけど、結果を出してくれないなら信用しない」という心の声が聞こえてきます。
つまり、それは信仰ではなく、神様と商談、取引をしているのです。

あなたが神様であった、とします。
AとBがあなたを祀った神社に参拝に来て、祈ったとします。
Aはあなたに全託の心境でお参りし、考えうる限り最大限の努力をして事に当たっています。
Bも考えうる限り最大限の努力をしています。しかし、「祈りが聞き届けられるならこの神様を信心するけれども、そうでなければあまり信用しない」と心の奥底では考えていた、とします。
あなたが神様なら、どちらの祈りを聞き届けますか?ということです。

中世の人にとっては、宗教は人生の規範となる最大の要素であり、それを疑う、あるいは批判的立場を取ることによって世に中が進歩したと考えている、私に言わせれば愚かしい人々がいます。
時代は移ろい、科学技術も進歩してまいりました。
しかし、あなたの信仰心は中世人の足元にも及ばないかもしれない。

「信仰心をもって戦うなら、戦力は2倍となる。」
プラトン