人物

リスク・テイカー

リスク・テイカーとは直訳すれば「危険を引き受ける人」という意味ですが、この言葉には「勝負する人」という意味もあります。

自身を「平凡な人間」と評する小西史彦氏は、24歳でマレーシアに渡り、徒手空拳で製造業、商社、飲食業等の50社からなる企業グループを作り上げ、民間人としては最高の貴族の称号「タンスリ」をマレーシア国王から授与されたアジア有数の大富豪です。

彼は面白いことを言っています。「リスクは避けるべきものではなく、むしろ自分から取りに行くべきもの」だそうです。
小西氏はリスクと無謀さを、明確に別のものとして捉えています。薬剤師の資格を持っている彼は、自分が日本で成功するよりも、アジアの新興国でビジネスをするほうが、はるかに成功出来る可能性が高いと考えたそうです。確率論から行動を決定するところがいかにも理系ですね。

明治百年の記念事業として政府が主催した「青年の船」(余談ですが、私の叔父も「青年の船」でアジアを歴訪したそうです)で、東南アジア諸国を歴訪した際に、「もし自分が海外でビジネスをするとしたら、どこの国が良いか」と考えたそうです。そしてマレーシアを選びました。理由は、イギリスの植民地時代に作られた社会インフラが整備されていることと、商取引の契約概念がしっかりしていることでした。物事にはいい面と悪い面の両方があり、植民地支配というと支配された側の感情としてはやはり複雑な気持ちになるかと思いますが、それによって近代化が進んだのも紛れもない事実です。

対して日本では、すでに出来上がっている社会だったのであり、頭一つ抜きんでていくのは容易ではないな、と。同じ努力をしても戦う場所を変えると、結果が全く違ってくると思ったそうです。

後に大富豪となる小西氏のビジネス・キャリアのスタートは、これまたびっくりするほどの苦難から始めることになります。
日本のメーカーとシンガポールの合弁会社に華僑の社長に誘われて入社するのですが、なんと二ヶ月後に倒産してしまいます。これには理由があるのですが、給料が支払われる前から仕事をしていた小西氏の仕事ぶりを買ってくれていた取引先の別の華僑の社長が、染料の営業マンとして小西氏を雇ってくれたのです。
詳細を書いていくと一冊の小説くらいになる(実際、彼の人生は『マレーシア大富豪の教え』という本に書かれています)のですが、どんどん書き足していこうと思います。