思想

徳の再考

徳について考えてみます。
儒教では、人が身につけるべき徳目(ここですでに「徳」という言葉が出てきます)があり、生涯をかけて修行すべきである、としていました。
「礼」「智」「信」「義」「勇」といった項目があります。

日本人であれば、人生のどこかでそのような話を聞いたことがあろうかと思いますが、先の敗戦によって戦前の価値観はことごとく否定されてしまいました。その為、現在においてそのようなことを語る人は少ないし、利己的な価値観に基づいて生きる人も少なからず現れるようになってまいりました。

戦争の末期に、日本は神風特攻隊を編成し、アメリカの艦隊に体当たり攻撃をしました。
最早、武器弾薬も十分ではなく、本土防衛のためにやむなく始めたのでした。
鹿児島県の知覧飛行場から飛び立つゼロ戦は、片道分の燃料だけを積んで飛び立って行きました。

戦場に立つ戦士は危険な状態にあることは論を待たないのですが、それでも帰還する算段を持たないで出撃するなど、世界中のどの軍隊でも行っていませんでした。

戦後は彼らの死を「無駄死」という人もいました。確かにそうかもしれない。でも、本当にそうでしょうか?

私は知覧特攻平和会館を訪れたことがあるのですが、そこでは特攻隊員達の写真と遺書が保管されてあります。

アメリカの将兵の肝を寒からしめた彼らは、いったいどんな狂気を秘めていたのだろうかとお思いでしょうか?

よく言われることなのですが、遺書から読み取れる彼らの思考はまるで温厚な哲学者のようです。

この戦争の見通し、残した家族への感謝と気遣い、そして自分達は死んでいくが、後の世を再建していく若者達への期待が綴られていました。

この時期に、あまりふさわしくない話題かもしれませんが、桜が咲くと時折思い出すので書きました。誰かの心の糧になれば幸いです。

変だけど素敵なおじさん身罷れり
桜の木々に緑芽吹きて