学習

学習障害と天才

人にはそれぞれ得意なことと不得意なことがあります。

学習において不得意なことの傾向が顕著に表れると、それは「学習障害」と認識されます。

しかし、マーヴィン・トケイヤー氏によると児童・生徒の100人に15人ほどは学習において著しく苦手な分野があるものであり、決して珍しい出来事ではない。しかも、そのような子は特定の分野においてしばしば目覚ましい才能を持っていることが多いのだそうです。

私達は「普通」という言葉をよく使いますが、そもそも「普通な子供」なんて本当にいるのでしょうか。

学習障害を持っている子を評して「怠け者」とか「変わっている」とか「頭が悪い」などと言うことがありますが、「そうとも言えないのではないか」というのが現時点での私の認識です。

よく言われるのが、「アインシュタインは東大の物理学科には、ほぼ確実に入れなかったであろう」ということです。

何故なら、彼は物理や数学は得意でしたが、それ以外の教科はからきし駄目でしたから。

でも、東大の物理学科の卒業生がアインシュタイン以上の学問的業績を残したのかを問えば、おそらくそうではないでしょう。

トーマス・エジソンもそうです。小学校を3ヶ月で中退していますが、母親が自分でトーマスの勉強を教えることを決意したのは、彼が「お宅の御子息は当校では預かりかねます」という趣旨の手紙を携えて帰宅したからでした。

「1+1=2」が理解出来なかったという逸話について少し解説しますと、トーマスは「粘土の塊1個と、もう一つの粘土の塊1個を混ぜこねると、より大きな粘土の塊1個が出来上がる。それなのに、1と1の合計が2になると何故言い切れるのか。そこに普遍的な法則はあるのか」という疑問を持ったようです。しかし、担任の先生は、「こんなことすら理解出来ないとは、君の頭は腐っているのかね」と激怒してしまいます。

このように、「天才を見逃す凡人の悲劇」はそこかしこで起きています。