人物

歴史のIF -長曾我部編-

四国についての何事かを考える参考になればと思い、『夏草の賦(ふ)』を読んでいます。
本書は司馬遼太郎氏による長曾我部元親の一代記です。

元親は土佐出身の豪族で四国を席巻したのですが、秀吉との戦いに敗れ臣従を誓います。長男・信親が戦死すると英雄としての覇気を失い、四男の盛親に家督を譲るのですが、反対者は身内であろうと切腹させました。

結果的にお家は断絶し、進駐軍として山内家が四国に入り、長曾我部の家臣団は郷士として山内家に召し抱えられることになります。

ここから土佐の厳格な身分制度が始まり、郷士階級から坂本龍馬や岩崎弥太郎が出てきます。

龍馬の一生を考えるにおいて、身分制度からの脱却というのがテーマの一つだったと考えています。

『竜馬がゆく』は郷士側の立場から書かれていますし、後藤象二郎や板垣退助といった上士の身分だった人はどちらかといえばいけすかない連中として書かれています。

しかし、何故そのような事態に立ち至ったのかということについて、最近は考えるようになりました。

元親は深慮遠謀、というと聞こえはいいのですが、策謀を好むところがありました。

結局のところ、神は策謀を好む人物を、大成させることが無かったのではないか。

そのように考えております。

ヘーゲルという哲学者がいますが、彼が説いた歴史哲学は、あたかも神が歴史を動かしているかのごとく書かれているので、それを批判した実存主義の哲学者が何人もおりました。

ハイデッガーやサルトルですね。

人間は偶然によってこの世に生れ落ちたのであり、人生や歴史に神の意図などあろうはずもない、という考え方ですね。

それでも人がそう考えずにはいられないのは、そう考えたほうが楽だから、というのが彼らの主張です。

あなた自身はどう考えるのか、という質問をいただくとすれば、そうですね、どちらかと言えばヘーゲルの主張に賛同したいですね。

もっとも、私自身、神の姿を見たことはありませんが、やはり死後も、そして生まれ変わったとしても、基本的な哲学はそれほど変わらないであろうという予測は持っています。

元親は織田信長がまだ畿内すら統一していない段階から注目し、自分の嫁として織田家の家中である斎藤利三(としみつ)の妹、菜々(なな)を娶っています。

将来の織田家との連携を意識したことであると思いますが、面白いのはこの菜々という女性が二つ返事で土佐に嫁いだことです。当時、四国は鬼が住んでいると言われるほどの遠国であり、よほど肝の据わっている人物でないとこの縁談は受け入れなかったであろうと言われています。

ちなみに奈々の兄である斎藤利三の娘がお福、後に春日局として大奥で絶大な権力を握る女性として歴史に登場するのですが、こちらについてはいずれ稿を改めて書きたいと思います。

織田家の番頭のような位置づけであったとしても、秀吉の生存中、そしてその死後もNo2として生きていく心構えがあったならば、いずれ家康と事を構える事態となったとしても、かなり面白い戦い方、あるいは駆け引きが出来たのではないかと推測します。

もっとも、信長は元親に対して「四国切り取り放題」の免状を一度は与えておきながら、その方針を撤回しました。「私はいつから織田殿の配下になったのか」と元親は反発しました。戦国武将の矜持としては、さもありなんという部分はあります。

つまり、元親は英雄の末路としてちょっと寂しいところがあるのですが、上手に立ち回れる方法はあったのではないか、というのが私の率直な感想です。

しかし、これは後世の人間だからこそ言えることなのであり、懸命に生きる当人は無我夢中で人生を駆け抜けていたのでしょう。

総じて言えることは、この世に策謀があるということは知りつつも、大本は正攻法で勝ち登っていくのが人生の基本と心得るべきです。

そうでないと、死後と言わず、生きている最中においても没落の危機が迫ってくる。

前田家は家の存続のためには、落雷で焼失した天守閣を幕府に遠慮して再建しなかったそうです。

そうまでしたからこそ、前田の家は残った。

戦国時代のみならず、現在においても人の生き様というのは様々なので、学ぶべきテーマは尽きることは無いのだろうと思います。