人物

何を売るか

ケンタッキー・フライドチキンの創業者、カーネル・サンダース氏の人生について述べます。

ケンタッキー・フライドチキンのフランチャイズを始めたのが氏が65歳の時だそうで、「夢を叶えるのに、遅いということはない」という文脈で紹介されることが多いのですが、彼の生涯について詳しく知っている人はあまり多くないかもしれません。

サンダース氏も転職は非常に多く、実に40種くらいの仕事は経験してきたそうです。

ガソリン・スタンドの経営を始めたのですが、顧客からの要望により、店内にカフェを併設します。そこでの目玉商品がフライド・チキンでした。

25年続いたのですが、アイゼンハワー大統領が新しい道路を建設しました。

ヒトラーが作ったアウトバーンに感銘を受け、アメリカでもどんどん道路を建設しよう、と決意したそうです。

ヒトラーというと、すっかり「悪の権化」のような扱いを受けているのですが、その彼の政策にヒントを得る人もいるのですから、世の中不思議ですね。

で、お客が新しい道路に出来た店に流れてしまい、サンダース・カフェは閉店を余儀なくされました。

サンダース氏は年金で生活しようと思ったのですが、年金が期待したほど入ってこない、ということがわかりました。

そこで、サンダース氏はフライド・チキンのレシピをフランチャイズ化して売り始めました。

現在、世界で約2万店舗が営業中です。

エジプトのピラミッドの前にケンタッキー・フライドチキンのお店があるそうです。

サンダース氏はフリー・メイソンの会員だったそうで、メイソン設立者の祖先はピラミッド建設に従事した、という伝説と関係があるらしい、という噂がありますが、真偽のほどは不明だそうです。

あと、間違ってもケンタッキーおじさんを川に投げ込まないようにしましょう。

1985年に阪神が優勝した際、酔ったファンがケンタッキーおじさんを道頓堀に投げ込んだのですが、以後阪神はおおいに低迷し、「ケンタッキーおじさんの呪い」と呼ばれています。

(カーネル・サンダースことハーランド・デービッド・サンダースは、ケンタッキー州より地元の経済振興に貢献した功績により「ケンタッキー・カーネル」という名誉称号を贈られた。カーネルとは元来、「大佐」の意味である。サンダース氏は軍隊に勤務した経験があるが、軍人としてのキャリアは一兵卒で終了した。)