人物

抜くか弥太郎

三井、住友について延べた以上、三菱の家祖である岩崎弥太郎についても書こうと思います。

しかし、不思議といいイメージが湧いてこない。

何故なのか、考えてみました。

どうもその原因は、『竜馬がゆく』の弥太郎に関する叙述にあるように思いました。

偉大なる龍馬に比べて、弥太郎はやや軽薄な人物として描かれているのです。

人間ですから完璧ということは無いだろうし、時に協力し、時に喧嘩もしながら、両者は時を同じく過ごしてきたのではなかったか。

司馬遼太郎という偉大な国民作家であっても、「金持ち憎し」という気持ちがあると、同じ資料を見ても、好意的に解釈するか、辛辣に解釈するかが分かれてくるのだろうと思います。

「抜くか弥太郎」というのは、捕士として龍馬にお縄をかけるために現れた弥太郎に対して、

「おう、抜くか弥太郎。殊勝なことだのう」

と刀を鞘から抜いた弥太郎に対して龍馬が語りかける場面です。

北辰一刀流の免許皆伝の龍馬から見れば、他の武士は素人に見えるでしょうから、そのような余裕のある発言となったのでしょうが、こういう叙述も無意識なのかもしれませんが、これでは弥太郎の立つ瀬がありません。

弥太郎が龍馬から何を学び、いかにして大三菱を築いていったのか、という観点から司馬氏が小説を書いていれば、あるいは歴史も変わっていたかもしれません。