人物

何故、豪商となれたか

私は「どうすればお金持ちになれるのだろう」と思い、様々な成功者や富豪について学んでまいりました。

すると、生い立ちは貧しかった、という成功者がけっこういるということがわかりました。

勿論、先祖がもともと裕福で、親も裕福で、本人も裕福であった、という人もいます。

しかし、意外とそのような人は少ないものです。

気をつけないと、金持ちは三代で潰れるのです。

お金のありがたさに気付く機会が無いからですね。

三菱の初代、岩崎弥太郎も、極貧家庭からの出発でした。

土佐国井ノ口村の地下浪人・岩崎弥次郎と美和の長男として、弥太郎は生まれます。

もともと岩崎家は郷士の家柄でしたが、生活のために郷士の身分を人に譲ったそうです。

美和が制定した岩崎家の家訓が残っていますが、その中に、

「貧しい時のことを忘れないこと」

という一条があります。

弥太郎は吉田東洋が開いていた小林塾で学びました。

若き日には不遇でしたが、東洋の甥の後藤象二郎が藩の要職に就くと、弥太郎の運が開けていきます。

後藤象二郎は土佐藩が欧米との取引のために、長崎に開成館長崎出張所(長崎商会)をつくり、その主任に弥太郎を抜擢しました。

長崎商会は明治元年に閉鎖されましたが、弥太郎は開成館大阪出張所に移り、翌年に大阪商会を九十九(つくも)商会と改称しました。

創業時の九十九商会が船旗号として採用した三角菱がスリーダイヤの原型です。

岩崎家の家紋「三階菱」と山内家の家紋「三ツ柏」に由来し、後に社名を三菱と定める機縁となりました。