人物

さよなら、コーチ

ビル・キャンベルはスティーブ・ジョブズのコーチであり、シリコン・バレーの創業者達ほとんどすべてに影響を与えた人物です。

コロンビア大学時代にアメリカン・フットボールの選手をしていました。178センチ75キロの体格はフットボール選手としては小柄でしたが、その渾身のプレーとフィールドでの知性は、たちまちコーチとチームメイトを魅了しました。

1961年の秋、3年生になったビルはチームのキャプテンに選ばれ、ディフェンスではラインバッカー、オフェンスではラインマンとして、すべての試合のほぼすべての時間をプレーします。同年、オールアイビーリーグ選手に選出され、コロンビア大学史上唯一のアイビーリーグ優勝にチームを導きました。

1964年にコロンビア大学にて教育学修士号を取得した後、ボストンカレッジのアシスタントコーチを経て、1974年に母校コロンビア大学からヘッドコーチになってくれないかと請われ、ヘッドコーチに就任します。

全米でも指折りのアシスタントコーチという評価を確立していたビルでしたが古巣コロンビアでの戦績は思わしくありませんでした。
当時の自分を振り返って、ビルは自分には冷徹さが足りなかったと自己分析しています。後にビジネス界に転職したわけですが、同僚や部下の子供がどこの学校に通っていて、そこでどんな生活を送っているかまで気にしていた人ですから、「勝つための当然の選択」例えば選手を途中で交代させたり、下級生が上級生にとって代わるといったことをためらう場面があったようです。
しかし、学生のことを思いやる態度は後にビジネスで成功していく原動力となりました。

フットボールのコーチを辞任した後、39歳でビルは広告会社のジェイ・ウォルター・トンプソンに就職しました。最初はシカゴでクラフトを担当し、数ヶ月後、ニューヨークでコダックを担当しました。この時、ビルのひたむきさとビジネスの知見に舌を巻いたコダックはすぐさまビルを引き抜きました。ビルはコダックでめきめきと頭角を現し、1983年にはロンドンでヨーロッパにおける消費財部門の責任者を務めました。

1979年の求職活動中に、ビルはコロンビアのフットボール仲間からペプシコの幹部だったジョン・スカリーを紹介されます。ビルはその際に提示されたオファーは断ったのですが、スカリーは1983年にシリコンバレーに来てアップルCEOになると、すぐにビルに電話をかけました。
「コダックを辞めて、子供を連れて、西海岸のアップルに来てくれないか?」

この時、すぐに動けば実力主義の荒くれた西部に行けば、経営に参画出来るチャンスがあるとビルは閃きました。
アップル入社後9ヶ月で、ビルはセールス・マーケティング担当副社長に昇格しました。そして、あの「マッキントッシュ」の発売をまかされたのです。

1984年、アップルはフロリダ州タンパで開催されるスーパーボウルのTV中継のCM枠を買いました。
CMの内容はジョージ・オーウェルの小説『1984』からヒントを得たものです。
若い女性が暗い廊下を駆け抜け、追ってを振り切って大きな部屋に入ると、そこでは灰色の服を着たスキンヘッドの男達が魂を抜かれたかのように、巨大スクリーンに映し出された「ビッグブラザー」風の人物の単調な演説に見入っている。女性が叫びを上げ、スクリーンに大きなハンマーを投げつけて爆発させると、マッキントッシュのおかげで「1984年は『1984』のようにはならない」だろうというナレーションが流れる、というものです。

スティーブはこのCMを大いに気に入りました。試合まであと10日という頃、彼らは取締役会でそのCMを披露したのですが、取締役会では不評でした。コストがかかりすぎるし、物議を醸すだろう、CM枠をどこかに売り払えないか?というわけです。数日後、アップルのセールス責任者がビルと彼の上司であるフロイド・クヴァンメに枠の買手が見つかったと報告してきました。フロイドはビルに「どうする?」と聞きましたが、
「やっちまえ!」とビルは答えました。

彼らは取締役会にも幹部にも枠の買手がいることは伏せて、放映を敢行しました。結果、アップルのこのCMはこの試合中継で最も人気を博したスポットCMになっただけでなく、世界で最も有名なCMに数えられ、スーパーボウルのCMが試合そのものと同じくらい話題になりました。
2017年、ロサンゼルスタイムズは「史上最高のスーパーボウルCM」と評価しました。結果を出せなかったフットボールコーチの、最後のシーズンから5年と経たない頃の出来事です。

1987年、アップルはソフトウェア部門のクラリスを独立企業としてスピンオフすることを決定し、ビルにCEO就任を要請しました。クラリスはビルのもとで順調に業績を伸ばしましたが、1990年、アップルはクラリスを公開企業として独立させるという当初の計画を撤回し、完全子会社として傘下に収めることを決定しました。

この方針変更により、ビルをはじめ数人の幹部がクラリスを去ることになりました。ビルの退任は誰にも惜しまれ、クラリスの従業員達はサンノゼ・マーキュリー・ニュース紙に彼への感謝を伝える全面広告を出しました。

「So long,Coach(さよなら、コーチ)」という見出しのもと、
「ビルへ、あなたのリーダーシップ、あなたのビジョン、あなたの知恵、あなたの友情、あなたの気骨が恋しい。いろいろありがとう。でもあなたがいなくなっても大丈夫だ。(中略)
もう僕らのコーチはしてもらえないが、これからも誇りに思ってもらえるように頑張るよ」
という内容でした。