教育

褒めることと叱ること

ユダヤ教のラビであり、学校の校長を務めた教育者でもあるマーヴィン・トケイヤー氏は、日本人の家庭に招かれたことが多く、そこで日本人の家族と接したのですが、日本人が彼らの子供を叱る時と褒める時を見て、ユダヤ人と日本人の教育の仕方が違うことに気付いたそうです。

日本人は、褒めるにしても叱るにしても、「人そのもの」を褒めたり叱ったりする、とトケイヤー氏は感じたそうです。

例えば、子供が家の壁に落書きをしたとします。日本人の親は、「何をバカなことをしてるの!」とか「壁が汚れてしまうじゃないか」と怒鳴ります。

ユダヤ人は子供そのものを叱るのではなく、子供の行いを叱るのだそうです。

「壁は絵を描くところではありません。絵を描くのなら画用紙に描きなさい。壁の掃除をするのは大変よ」、と。

褒める時もそうです。

例えばプラモデルを上手に子供が作った時、「これは見事なプラモデルだね。本物そっくりだ」とは言っても、「まあ、さすが○○ちゃん!とても上手ねえ」といった褒め方はしないそうです。

あるいは子供が有名な大学に合格した時、日本人であれば、「さすが僕の子だ!頭がいいな」といった褒め方をすることが多いと思いますが、ユダヤ人は、合格した子よりも、その大学そのものを褒めるのだそうです。例えばその大学を卒業した人達が、その後社会にどのような貢献をしたのかをデータによって語り、そしてその大学の学生となった子に対して、刻苦勉励することを期待するのです。

人間そのものを叱ると、人はやる気を失ったり、無用な反抗心を募らせます。

人間そのものを褒めると、人は慢心します。

バビロニア、アッシリア、オスマン・トルコ…と、かつて繁栄を極めて、やがて滅んでいった大帝国はいくつも存在しますが、何故それらの国が滅んだのかというと、彼らは栄光の歴史しか語らず慢心したからだ、とトケイヤー氏は分析しています。

人の褒め方叱り方というのは、ささいなことかもしれませんが大変重要です。

こういった事例からも、何故ユダヤ人が各界で驚異的な業績を示し続けるのか、その一端が垣間見える気がします。