人物

アダムスキー伝

私がこれから書く内容は、ジョージ・アダムスキー本人と、その側近の人達の回顧録によります。

世界中の多くの信奉者と、彼の言説を認めず詐欺師と評した人々の評価の間には多くの隔たりがありますが、ここでは「彼いわく」という話をします。

ジョージの父はポーランドの王家に連なる軍人でした。

将来は貴族の娘と結婚する予定だったそうですが、海外での赴任先で恋仲となった女性との間にジョージが生まれました。

その女性は、エジプト人の血を受け継いでいたそうです。(国籍等の詳細は不明。現在、確認中)

ジョージはチベットで4年間、修行したと伝えられていますが、彼の哲学には人の転生輪廻等、東洋思想の影響を見ることが出来ます。

世界中のアメリカの軍事基地に入れる許可証を持ち歩いていました。

各国の元首級の人々との交流があり、彼らは密かにジョージの助言を仰いでいました。

カルフォルニア工科大学からは学位を、アメリカ政府からは財政的援助を、ポーランド政府からは彼の父が所有していた土地を進呈するという申し出がありましたが、ジョージはいずれも辞退しました。

誰かの世話になると、自由な発言が保証出来なくなることを危惧してのことでした。

国連には、少なくとも4回呼ばれています。

アメリカ政府も軍も、ジョージをとても恐れていました。

なぜなら彼は、いつどこで、重要機密について話し出すか、気が気ではなかったからです。

彼が何故、生涯においてかくも様々な迫害に見舞われたのか、それは彼が真実を語る人だったからではないでしょうか。

世間は、重要でない人物の口を封じようとはしません。

様々な論議を呼びながら、自分が偉人や英雄視されることを嫌うこの人物は逝ってしまいました。