思想

言葉の分断と統一

ゼカリヤ・シッチンが紹介した『エンキ書』によると、マルドゥクが建設を試みたバベルの塔を阻止せんとして、エンリルが攻撃するまでは言葉は一つだったそうです。シュメール語が共通言語として各地で普及していたわけですね。

エンリルとしては、バベルの塔の建設を許してしまえば、もはや地球人に不可能なことは何もなくなり、自分達ニビル人と同等の、もしくはそれを凌駕する能力を身につける可能性が出てくるのですが、それは許しがたい事態だったようです。

それゆえ、各地に広がりつつある人間の土地ごとに異なる言葉を話し、容易に意思疎通が出来なくなるこを画策しました。

言葉のみならず、私達は時にお互いに分かり合えないことを感じることがあると思いますが、その根本的理由は、容易に分かり合えない状態を求めるベクトルが働いているからなのだとすれば、この世の混乱について、その原因が見えてくる気がいたします。

それをどう受け止めるか。

そもそも容易に分かり合えない世界なのだから致し方なしとするか。

容易に分かり合えない世界を神から与えられたジグソーパズル、あるいは知恵の輪と見なし、その解決に果敢に挑んでいくか。

高根正教氏によりますと、アレクサンドロスが大帝国を築いた真の目的は領土の拡張ではなく、言葉の統一であった、とのことです。

アルファベットの普及により、彼はその目的をある程度まで実現した、と言えます。

エスペラントという人工の世界普及語を世に広めるという運動がありましたが、今日においてもそれが地球のすみずみまで普及していない理由は、言葉は生活に根ざしたものであり、人工的に統一言語を造るという試みが土台無理なのだ、と私は永らく理解していました。

しかし、それでも同じ言葉を話し、分かり合いたいという衝動が、私達には常にあるのです。