随想

第二の人生

『首』を観ようと映画館まで2回行ったが、2回とも結局観ずに帰ってきた。

世評で信長の描かれ方がことのほかひどく、パワハラ、セクハラの権化みたいな話になっていると聞いて、どうしても足が進まなかった。

人にはそれぞれ、こうでなければならない、というものがあるらしく、確かに信長は悪いこともしたかもしれないが、正義の人でもあった、という思いがどこかにあるからかもしれない。

信長は京に上洛した際、自軍に乱暴狼藉を固く禁じた。

これは木曽義仲が上洛の際、乱暴狼藉をはたらいたのに対して、源義経軍は京で一切、狼藉をしなかったということで京での評判が良かった故事に基いている。

京での評価が自軍の、そして自分の運命にも大きく関わってくることを知っていたのだろう。

ただ、安土城の敷地内には皇室用のゲストルームがあったそうだが、そこが天守閣から見下ろせる位置にあったそうで、そのまま信長の世界観を投影していると思われたそうだ。

いすれ消えゆく運命であったのかもしれない。

昨今では、私はチャネリングが出来る、と主張する人が歴史上の人物がメッセージを送ってきた、という動画もある。

その中の一つを紹介すると、信長は本能寺で死んでおらず、危機を脱出した後、数年海外を放浪し、最終的にローマの枢機卿になった、という話がある。

明智光秀が山崎の戦いで死んでいない、という話は聞いたことがあるが、まさか信長も死んでいなかったのか、という話なのだが、どうだろう。

確かに信長の首級は最後まで見つからなかった。歴史上の謎の一つである。

後年、伊達政宗が慶長遣欧使節をローマに派遣したが、考えてみれば、どこにあるともわからぬ東洋の小国が、ローマの教皇を始めとするお歴々に会いたいと申し出て、スムーズに会えたのも不思議ではないか。

まあ、いきなり行っても会えるかもしれないけど。

そこに実は元日本人がいたとすれば、日本というのはこういう国で、日本人とはこういう人達ですよ、という情報共有が出来ていたのかもしれない。

そちらのほうが話としてはリアリティーがあって面白い。

この話が本当なのだとすれば、私達は本当に、真実とはほど遠い世界の中を生きているわけである。

実際のところ、私達は金星の表面温度が何度なのかすら知らないし、知ろうともしない。

だからこそ、真理を求めて生きるということが大事なのだろう。