随想

官軍と逆賊

35日続いた雨がようやく上がり、晴れの日となった。

ありがとうございます。

このまま雨が降り続けるのならば、茨城県の国王神社に参拝しようと思っていた。

平将門公戦没の地に建てられた神社である。

今回の長雨を、平将門公の祟りではないかと解釈する人は少なくない。

公に御縁のあった千葉県の印旛沼が決壊したという報を聞き及んで、(これはゆゆしき事態になった)と感じた。

一説によると、将門公のご子息に当たるのが安倍晴明だそうで、日本の今に至る結界は安倍晴明が整備したものだとか。

壊れた結界を修復するための旅に出ているYouTuberもいらっしゃる。

将門公と言えば、明確に反朝廷という立場で行動したのは、この御仁だけではなかったか。(それ以前の歴史で言えば磐井の反乱もあるし、そもそも蝦夷は大和朝廷に協力的でなかったから討伐されたのだろう。ただ、将門公以降の歴史では、表立って朝廷に反旗を翻す例は事実上なくなる。足利尊氏は後醍醐天皇に初めは協力していたが、武士への恩賞が少ないことを見て取り、帝から離反する。但し、別の天皇を立てて、自分はそちらの臣であるという立場で政治を行っていく。

ちなみにこの時、最後まで後醍醐方として戦ったのが新田義貞で、私が以前参拝した福井の毛谷黒龍神社のすぐ近くに藤島神社がある。義貞公の戦没跡に建立された神社である。新田義貞についてはいずれ機会を改めて考察したい。)

いかに力があろうとも、朝廷に反旗を翻すと結局は討伐されてしまうということで、その後の権力者達は、自分がいかに帝の御支持をいただいているかということを世間に示して統治をした。

逆賊という言葉があるが、『壬生義士伝』での場面が印象に残っている。

官軍が、「逆賊成敗のために、我ら進軍つかまつる」と言って通る。

それを聞いて吉村貫十郎は愕然とするのだ。

徳川の世において、徳川のために戦う。これが忠義でなくて何であろう。

吉村は斎藤一に、「斎藤先生、我らは賊軍なのですか」と問いかける。

斎藤はしばらく黙っていたが、やがて重い口を開いて、「どうも、そう思われているらしい」と答える。

さとうさおりさんは結局辞職したようだ。

不正がいいとは思っていない。

ただ、他人の悪事を暴こうとする者は、いつか自分の悪事も暴かれるということにならないよう祈る。

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KAZ
こんにちは。プロフィールの写真を更新しようと思うんですけど、やり方がよくわかりません。少々お待ちを。10年分くらいおっさんになっています。もっくんが老けないよねー。