随想

腰で斬る

そもそも吉祥寺で何をしようとしていたんだっけ?という反省もあり、電車で吉祥寺に行った。

面白いレストランや喫茶店があれば行ってみたかったのだ。

というわけで行ったのは、店内が薄暗くて、夜はバーになるお店。

僕のすぐ近くの席にはヒスパニックと思しき3人娘が一人は英語、一人はスペイン語(?)、もう一人は聞き役で延々と話している。

うーん、時代は変わったなあ、さすが東京だ。

夏野菜キーマカレーとあんずのクリームソーダを注文した。

会計をペイペイで払おうとしたら「現金か、カードでお願いします」とのことだったので現金で支払ったが、レジがボタン式の年代物で、まず近所で見かけることはない。

こういう余裕をぶちかましている店が埼玉にはあんまりない。

時間があるのでマッサージ店を訪問。台湾マッサージ。

バリバリ健全店。

最近、あまり行くことはないのだが、健全店が多い。いいことだ。

健康のためにやっています、ということで大義名分があるし、そちらのほうが長続きするみたい。

学生時代は2年間、高尾キャンパスに通ったので、西国分寺までは武蔵野線に乗っていたわけだ。

新座の貨物列車のコンテナを毎週のように見ていたはずなのだが、27年前の出来事は昔過ぎて、そういえばそんな景色を見ていたことがある、という感じである。

昔は刀を振っていた、気がする。

気がするというか振っていたのだが、それが何かの役に立ったのかというと、、うーん、何とも言えない。

今なら税務研究会とかマスコミ研究会とか。

もうちょっと気のきいたサークルとか勉強会でも良かったかな、という。

それは何十年も経ってから振り返って言えることであって、その瞬間瞬間はこっちも生きるのに懸命だから。

ただ、、武家政権は800年続いたわけで。

刀は統治者の象徴でもあった。

江戸時代は大きな戦は無かったが、それは幕府を脅かすような敵対勢力が無かっただけであり、本質的には軍事政権である。

どうすれば人が斬れるかを考えて練習していたのには意味があると思いたい。

表題は各校OBを招いての講習会で演舞を披露した際、「おたくみたいな腰の入った斬り方が出来るんなら、多少不格好だろうが何だろうが、そんなものはすっ飛ばしてあなたに旗を上げますよ」という意味の講評をいただいたことがあったなあ、という思い出。