思想

後ろの正面

私は「かごめ歌」について、長年考えてきました。
作者不明、成立年代不明ですが、数百年前から、全国津々浦々まで広まりました。

徳島県の剣山に、「失われたアーク」が眠っているという伝説があり、「かごめ歌」は、そのアークの在処を示すものではないか、というのが私が現時点で辿り着いている推測です。

アークとは聖櫃の意味であり、十戒が刻まれた石盤と、モーセの杖、そしてマナの壺が収められている、と言われています。

このアークと神社の神輿は寸法に至るまで、実によく似ています。古代ヘブライ語で、運ぶは「エッサ」と言うそうです。「エッサ、ホイサ」のあれです。

「かごめ歌」は不思議な歌詞でして、「夜更けの晩に」という歌詞が出てまいります。
しかし、夜更けというのは深夜のことであり、晩は日が暮れて間もない頃ですから、「夜更けの晩」というのは自然現象の叙述としては不自然な表現です。

「鶴と亀が滑った」、すべるというのは「滑る」だと長年解釈されてきたわけですが、実は「統べる」すなわち、統合する、というのが正しい解釈なのではないか。

そして、「後ろの正面」。
王様が独断ではなく側近達の会議によって物事を決定する時、王自らは会議に参加せず、円卓から離れたところに座り、その内容を見守ったそうです。

つまり、後ろの正面に座っているのは最終決定権者、最高権力者です。

ユダヤ教で言うならばモーセ、あるいはエリヤでしょうか。