歴史

伊達政宗の夢

信長がローマに行き枢機卿になったかどうかはともかく、伊達政宗は慶長遣欧使節を派遣した。

表向きの派遣理由は、仙台藩領海内でのスペイン船の難破を救助したことに対する宣教師の答礼と、スペインとの貿易交渉、そしてローマへの親善が目的とされている。

しかし、ここにはもう一つ、別の目的があったのではないかと推測する歴史家もいる。

政宗は最後まで徳川の世を転覆させる構想を持っていたとされる人物であり、スペインを味方につけ、いざという時にはスペイン軍の加勢を得て徳川を滅ぼそうとしていたのではないか、という説である。

ただ、これには異論もあり、少なくとも公式の文書において政宗とスペインの間にそのような合意が交わされた、という記録はない。

家光の世となった折、政宗は広間で昼寝をし、その時、政宗の刀をこっそりと引き抜いた人がいたそうな。

すると、その刀身は竹光であったというのだ。

不穏な噂の絶えない人物ではあったが、最期は自分の運命を受け入れたのだろう、と周りの者は安堵したという。

これも政宗流の演出であったのかもしれない。