学習

戦争と財閥

日本のGDPの四分の一は、三菱、三井、住友という旧財閥グループの売り上げだそうです。

車で一日中走っていますと、三菱自動車の車とすれ違いますし、テレビでは三菱のCMを見かけますよね。

実際、私の兄も住友系列の企業に勤務しています。
(情報訂正。日立系列でした。謹んで訂正します。)

それほど身近な財閥なのですが、何故かあまりいいイメージがありません。

渋沢栄一を語るにおいては、容易に財閥を作れる地位にありながら、ついに財閥を作らなかった男、として紹介されていますし、松下幸之助の書籍を読みますと、松下は戦後の財閥解体法によって解体されるところを、「松下は財閥ではない」と抗議して解体を免れた、とやや誇らしげに書いています。

そうだとすると、財閥とは悪しき存在なのでしょうか。

さて、どうなのか。

何故、悪いイメージがあるのかというと、私はGHQの占領政策が原因であると考えています。

GHQは日本を統治するにおいて、その強さの理由を分析し、それを破壊し、封印することを徹底しました。

家の制度。

滅私奉公型の道徳観。

そして財閥の存在。

実際、財閥は戦争のたびに、その規模と影響力を拡大してきました。

明治7年に日本は台湾に出兵します。

琉球島民54人が殺害された事件ですが、清は「実行支配していない管轄外での出来事である」として責任を回避したのですが、日本は犯罪捜査のために出兵したのです。

兵員を輸送する船をいかにして確保するか。

候補として上がったのは三菱商会と日本国郵便蒸気船会社でした。

渋沢が作った郵便蒸気船社は台湾への輸送に及び腰でした。

その間に、国内シェアを三菱に奪われることを恐れたのです。

そこで、その話が大隈重信から弥太郎に依頼されました。

この時、「国あっての三菱です。お引き受け致しましょう」

と答えたそうです。

台湾出兵に際し、明治政府は10隻の外国船を購入して運行を三菱に委託しました。その後、三菱に3隻の大型船も委託され、台湾出兵後は13隻の大型船を運行することになりました。

日本は初の外国定期航路を横浜・上海間に開通しました。

一方、ライバルであった郵便蒸気船社は解散しました。

三菱商会は西南戦争でも官軍の輸送業務を独占し、莫大な利益を上げます。

巷には「三菱の暴利を許すな」という声が上がりました。

話はまだまだ続くのですが、いずれ三菱四代に渡る業績をご紹介致します。

アメリカの言い分は時に正しいこともあるのですが、彼らは大東亜戦争においても「民主主義を護るために戦った」という主張をするのですが、ソ連とも組んでいるので、その言葉を文字通りに「是」とするのはいかがなものかと思います。

まあ、この辺は渡部昇一氏の受け売りですので、ご興味があれば参照して下さい。