随想

1852年頃のニューメキシコ州のサンタフェは、ネイティブ・アメリカンとメキシコ人達の住む小さな町だった。

アメリカの州に認定されるのは20世紀に入ってからだ。

1852年、ケンタッキー州から修道女達がキリスト教を伝道するために移住してきた。

修道女のために学校を創ろうということになり、ロレット・アカデミー修道院を設立した。

1873年に、チャペル(礼拝堂)の着工を開始した。

しかし、5年後の1878年に、教会の竣工を指揮していたフランス人の建築技師、P・モーリーが急死してしまった。

問題は、1階から高さ22フィート(約6.7メートル)の高さにある聖歌隊席への移動手段が無い、つまり階段がまだついていないことだった。

通常の直階段を設置するとなると、かなりのスペースを要することになり、参列席のためのスペースを大幅に削減しなければならない。

見た目もあまり美しいとは言えなさそうだ。

修道女達は多くの建築家や大工に意見を求めたが、「梯子を取り付けるか、さもなくば聖歌隊席を現状よりも低く改築せざるを得ないだろう」との回答だった。

万策尽きた彼女達は祈ることにした。

ノベナと呼ばれる、9日間の祈りを敢行することにした。

8日間は何事もなく過ぎた。

9日目の夜、教会のドアを叩く音がした。

修道女がドアを開けると、ロバを連れ、大工道具を携えた白髪の男性が立っていた。

彼は言った。

「私に何か出来ることはありませんか?」

修道院長のマザー・マグテリーナは、懸案となっていた聖歌隊席への移動方法について彼に相談した。

「よろしい。それではさっそく作業にとりかかりましょう」

「あの…。お名前は?」

「え?いや、ハハ…。名乗るほどのもんじゃありませんや」

彼はのこぎりとT定規とハンマーを使って作業に取り掛かった。

「桶を貸して下さい」

と修道女に言った。

材木をその桶に浸したのである。

どれくらいで完了したのかは人によって証言が様々であり、半年から8ヶ月で終了した、という人もあれば数年かかったという人もいた。

ある朝、修道女がチャペルのドアを開けると、螺旋階段が完成しており、「作業は終了しました」というメモが添えられてあった。

彼はそれ以後、教会に姿を現すことは無かった。

修道女達は彼のために、お礼の祝宴を用意したかったのだが、町の誰に聞いても手がかりが無かった。次の仕事が控えているので遠方に旅立ったというのなら、せめて謝礼だけでも渡さなければと思い新聞に尋ね人の広告を出したのだが、反響は無かった。

いつしか、「あれは神様が私達のために聖ヨセフを遣わし、苦難を救って下さったのではないか」という噂が広まった。

噂は確信となり、確信は伝説へと変わった。

螺旋階段に使われている木材はトウヒと呼ばれる木材と推定されているが、アメリカ南西部で入手出来るものではなく、トウヒの購買記録はどの材木店にも残っていなかったそうだ。

そしてこの階段には、通常の螺旋階段に必須の部分である中央の支柱が無い。

設置から10年後には手すりを追加し、20世紀にはブラケットを追加した。

階段の裏面には元々何もなかったが、馬の毛と石灰を混ぜてその部分を埋めた、とのことである。

現在は文化財保護のために使用は禁止されているが、多少上下には揺れたものの、長きに渡って人々の使用に耐えた、とのこと。

支柱が無いのに何故使用に耐えるほどの強度を保てたのかは建築学的にも謎であるそうだ。

「聖ヨセフの螺旋階段」として知られている。